息子がいきなり叩かれた日─私・AI・創造主の3つの視点から考える

シータヒーリング

今週、息子(1歳8か月)を保育園へ迎えに行った帰り道のこと。
園を出たところで、一緒になった母子と歩いていました。私がベビーカーを押していると、その子(5歳くらいの男の子)が後ろから近づいてきて──
いきなりベビーカーの横をつかみ、中を覗き込み、息子の頭をパーン!と叩いたのです。

あまりに突然の出来事に固まる私。息子は泣きませんでしたが、驚きで表情が固まっていました。
すぐに息子の様子を確認し、「大丈夫だよ」と声かけしているうちに、男の子は謝りもせず離れていき、母親は私をちらりと見て、「あ、ごめんなさい」と一言だけ。
「大丈夫ですか?」など息子への気遣いもなく、親子はそのまま歩き去りました。

そこで何か言えれば良かったのですが、私自身、「子どもを守らなきゃ」という本能と、「場を荒立てたくない」という気持ちが同時に来て、身体も思考も固まってしまい、無言で見送る形になってしまいました。

あの時どうすればよかった?~私の後悔~

帰り道、何も言えなかったことを、とても後悔しました。
正直なところ、あの瞬間は「よその子を叱るのはどうかな…」「面倒な母親だと思われたくないな」という世間体・自己保身の気持ちもありました。

でも本当は、息子を守るためにも、相手の親子にちゃんと抗議すべきだったんじゃないか?
叩いたのは5歳くらいの子。善悪は理解できる年齢です。にも関わらず、大人しくベビーカーに乗っているだけの、面識もない小さな子を平気で叩けるのは、完全に親の抑止が効いていない証拠。ならばこそ、第三者の大人として、子ども自身にしっかり「ダメ」と伝えるべきではなかったのか。
そんなふうに感じました。

と、同時に、シータヒーリングを学んでいる私は、この時の自分の考えが批判のエネルギーに満ちていて、善悪や懲罰といった人間的な狭い観点の思考だなと感じたのです。本当は、もっと調和的・平和的な対応ができるばず。。。
そこで、感情を持たない2つの存在、すなわちAIと創造主に「この場合どうする?」と聴いてみることにしました。

あの時どうすればよかった?~AIの回答~

AIは、息子の安全確保・行為の否定・親への事実と感情の共有・場を離れる、という4ステップを提案しました。

【AIの回答】

  1. 息子のケア:「びっくりしたね、大丈夫だよ」と落ち着いた声かけ
    → 「自分は守られている」という感覚を即座に与えるため。
  2. 相手の子への短い制止「叩くのはやめようね。痛いし、びっくりするから」
    ※ポイント:
    やめようねは命令ではなく提案の形
    ・「あなたは悪い子」ではなく、「行為がよくない」と伝える
    ・声のトーンは怒鳴らず、でもハッキリ
  3. 母親への一言:「びっくりしました。今は大丈夫ですが、急に叩かれて驚きました」
    →自分の驚きと不快感をやんわり表明
  4. 会話の切り上げ:相手がどう反応しても、「では失礼しますね」と立ち去る
    → 不必要な言い争いを避け、息子を落ち着いた環境に移す

善悪判断や社会的ルールを前提に、最小限で理性的な対応。感情をぶつけず、でも事実と気持ちは端的に伝えていて、息子にも相手にも配慮のある案だなぁと思います。
かなり良い対応に感じますが、言外に相手に批判を突きつけるような鋭さも含んでいるようにも感じます。

あの時どうすればよかった?~創造主の回答~

次に、創造主にチャネリングしてみたところ、まずは息子のケアを行い、その後は質問を通して、叩いた子ども本人の気づきを促す会話のアプローチを教えてくれました。

【創造主の回答】
・「今この子を叩いたよね。どうして?」(事実+理由確認)
・「急に叩かれて、この子(息子)はどう感じたと思う?」(相手の立場で考えてもらう)
・「じゃあ、どうすればいいと思う?」(自発的な謝罪を引き出す)
・そして、謝ったら「謝ってくれてありがとう」と感謝し、「今後はやらないで」と自分の意見を伝える
・謝らない場合は、「謝りたくないのはどうして?」と理由を聴き、その答えを受け止めた上で自分の意見を伝える。

「あなたは悪いことをした」という前提から始めず、背景(理由)から丁寧に向き合う姿勢をとるんですね。そして、相手の自由意志を徹底して尊重しつつ、自分の主張も伝えるバランス感覚がありますね。
でも、ここで気になったのが、「相手の母親に対しては何もコミュニケーションとらないの?」という点。

再度創造主に聴くと、「今回は母親には何も対応しませんよ」と。なぜなら、
・その子は、叩くのが良くないことだとちゃんと分かっていた
・その上で、叩くという行動を自分の意思で選んだ
・だから、結果を引き受けるのもその子自身
・もし子ども自身がそれを悪いことだと分かっていない場合は、行動の抑止や社会的ルールのサポートは親の役割
と答えてくれました。

創造主の「小さい子であっても、責任の所在を本人に返す」というスタンスは、大人の世界(人間の常識)だと少し議論が分かれる部分だと思いますが、子どもの主体性と責任感を育む、とても大切な視点だと感じます。
また、二元的な善悪や大人・子どもという区分にとらわれず、相手を自立した存在として扱っていますね。その態度自体が、子どもの自己肯定感の育成に大いに貢献するのではないでしょうか。

シータヒーリング 創造主の観点で生きる

さて、それぞれの対応について、皆さんはどんなふうに感じましたか。
私自身はやはり、創造主のアプローチを取り入れていきたいなと感じました。

創造主の観点は、相手を一人の自立した存在として信頼し、その選択だけでなく、責任も尊重しています。これは、子ども同士のトラブルに限らず、日常のあらゆる親子のやり取りのベースに必要なものだと思います。

この視点があることで、子どもに対して、コントロール・責める・抑制するという重たいエネルギーを手放しやすくなり、親自身がとても楽になるでしょうし、子ども側も、より深い安心感や愛を感じられるでしょう。
そんな関わりが積み重なれば、親子の間に流れる空気は、今より更に穏やかで温かなものになるのではないでしょうか。

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